いちきしまじんじゃこふん
市杵島神社古墳は,標高2~3mの低位な段丘の先端部に位置する古墳である。墳丘上には,市杵島神社が建っている。昭和60(1985)年に,豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,古墳は全長60m前後,後方部一辺32m,同高さ5m,前方部長17m以上の前方後方墳と確認された。後方部の一部では,葺石(ふきいし)も発見されている。しかし,主体部は神社の下に保存されている可能性が高く調査は行われていない。前方部と後方部をつなぐくびれ部からは,赤彩された土器・底部穿孔(せんこう)土器・二重口縁土器など古墳に供献するための土器が出土している。
古墳の築造は,出土した土器から古墳時代前期でも比較的早いと考えられる。また,その立地や規模からは豊川(とよがわ)河口から三河湾における海上交通を掌握した被葬者(首長)の存在が推察されている。なお古墳は,縄文時代後期から弥生時代にかけて形成された貝塚(市杵島神社貝塚)の高まりを利用して築かれている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
市杵島神社古墳は,標高2~3mの低位な段丘の先端部に位置する古墳である。墳丘上には,市杵島神社が建っている。昭和60(1985)年に,豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,古墳は全長60m前後,後方部一辺32m,同高さ5m,前方部長17m以上の前方後方墳と確認された。後方部の一部では,葺石(ふきいし)も発見されている。しかし,主体部は神社の下に保存されている可能性が高く調査は行われていない。前方部と後方部をつなぐくびれ部からは,赤彩された土器・底部穿孔(せんこう)土器・二重口縁土器など古墳に供献するための土器が出土している。
古墳の築造は,出土した土器から古墳時代前期でも比較的早いと考えられる。また,その立地や規模からは豊川(とよがわ)河口から三河湾における海上交通を掌握した被葬者(首長)の存在が推察されている。なお古墳は,縄文時代後期から弥生時代にかけて形成された貝塚(市杵島神社貝塚)の高まりを利用して築かれている。
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