こうへいたい

 明治40(1907)年11月,渥美郡高師村に陸軍第15師団が設置されると,工兵第15大隊が豊橋市向山に開隊した。大正14(1925)年4月,軍縮により第15師団が解団すると工兵第15大隊も廃止された。その間,工兵第15大隊は第1次世界大戦に参加し,中国青島に出動し帝政ドイツ軍と戦った。

 工兵第15大隊あとに,名古屋第3師団の工兵第3大隊が移駐してきたが,昭和11(1936)年6月,工兵第3聯隊となった。向山作業場(向山墓苑など)にはトーチカ・塹壕(ざんごう)がつくられ,豊川沖野および下流域では架橋や鉄舟の漕艇訓練が実施された。昭和12(1937)年7月,日中戦争が始まると工兵第3聯隊は第3師団(幸)工兵隊として出動し,中国各地を転戦した。その後,工兵第3聯隊補充隊で多くの工兵隊が編成された。そのうちの主な部隊をあげる。

○工兵第38聯隊,昭和14(1939)年8月編成。第38師団(沼)工兵隊として出動,ガダルカナル戦における中沢・寺沢・大野挺身隊として活躍した。

○工兵第26聯隊,昭和18(1943)年5月編成。第26師団(泉)工兵隊として出動,比島レイテ決戦に参加,ほぼ全滅。

○第65師団(専)工兵隊,昭和18(1943)年5月編成。中国各地を転戦。

○第29師団(雷)海上輸送隊,昭和19(1944)年2月,編成。サイパン・グアムで全滅。

○工兵第73聯隊,昭和19(1944)年7月編成。第73師団(怒)工兵隊として出動,豊橋および遠州灘海岸に展開布陣(本土防衛)。

○独立工兵第105大隊・同第106大隊・同第107大隊,昭和20(1945)年6月編成。新城に軍司令部をおく第54軍(颯)の直轄部隊となり本土決戦に備えた。なお,第2次世界大戦後,東部中学校(廃止),豊橋実業学校,豊橋商業高等学校に転用された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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