いわせ・まさお(1907~2003)
岩瀬正雄は,明治40(1907)年11月27日,豊橋市岩田町に生まれた。17歳のころから詩の創作を始めた。昭和3(1928)年上京して,翌4(29)年高村光太郎・草野心平らと「新詩人会」を結成し,同7(32)年最初の詩集「悲劇」を刊行した。帰郷後は,豊橋市青年団主事となる。第2次世界大戦後は,豊橋市役所職員(社会教育課長で退職)となり,豊橋文化協会の設立に参画した。
昭和28(1953)年第2詩集「炎天の楽器」を刊行,第3回中部日本詩人賞を受賞した。昭和47(1972)年に「僕の文学史・一匹の黄金虫」を刊行,豊橋文化賞,同58(83)年中日社会功労賞,平成4(1992)年地球賞,同12(2000)年現代詩人賞を受賞した。また,丸山薫賞運営委員会会長を第1回(平成6年)から第5回まで務めた。平成13(2001)年,第14詩集「生のとき,死のとき」を出版するまでに13冊の詩集(「悲劇」「炎天の楽器」「火の地方」「石の花」「荒野」「風」「岩瀬正雄詩集」「茫茫(ぼうぼう)」「岩瀬正雄詩集」(第九詩集)「わが罪わが謝罪」「斑鳩(いかるが)行」「岩瀬正雄・声の詩集」「空」)と4冊のエッセー集(「枳殻(からたち)」「僕の文学史・一匹の黄金虫」「追憶の花火」「北の人南の人」)を刊行した。平成15(2003)年5月18日,没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
岩瀬正雄は,明治40(1907)年11月27日,豊橋市岩田町に生まれた。17歳のころから詩の創作を始めた。昭和3(1928)年上京して,翌4(29)年高村光太郎・草野心平らと「新詩人会」を結成し,同7(32)年最初の詩集「悲劇」を刊行した。帰郷後は,豊橋市青年団主事となる。第2次世界大戦後は,豊橋市役所職員(社会教育課長で退職)となり,豊橋文化協会の設立に参画した。
昭和28(1953)年第2詩集「炎天の楽器」を刊行,第3回中部日本詩人賞を受賞した。昭和47(1972)年に「僕の文学史・一匹の黄金虫」を刊行,豊橋文化賞,同58(83)年中日社会功労賞,平成4(1992)年地球賞,同12(2000)年現代詩人賞を受賞した。また,丸山薫賞運営委員会会長を第1回(平成6年)から第5回まで務めた。平成13(2001)年,第14詩集「生のとき,死のとき」を出版するまでに13冊の詩集(「悲劇」「炎天の楽器」「火の地方」「石の花」「荒野」「風」「岩瀬正雄詩集」「茫茫(ぼうぼう)」「岩瀬正雄詩集」(第九詩集)「わが罪わが謝罪」「斑鳩(いかるが)行」「岩瀬正雄・声の詩集」「空」)と4冊のエッセー集(「枳殻(からたち)」「僕の文学史・一匹の黄金虫」「追憶の花火」「北の人南の人」)を刊行した。平成15(2003)年5月18日,没した。
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