いわやかんのん

 岩屋観音は,岩屋山(標高78m)の南麓にあり,天平2(730)年に行基が諸国巡錫(じゅんしゃく)の途次,1尺1寸(約33㎝)の千手観音像を刻んで岩穴に安置したのが起源とされる。江戸時代には街道を行き交う旅人から多くの信仰を集めた。特に岡山藩主池田綱政は信仰が厚く,「大岩寺岩屋堂の観音経・灯籠及び絵馬」(昭和32年 豊橋市有形文化財に指定)を寄進している。現存する岩屋観音堂は,文政8(1825)年に再建された回廊付三間二面の寄棟造りである。明治維新後は,大岩寺(豊橋市大岩町東郷内)の境外仏堂になっている。

 岩屋山の山頂には,銅製で高さ9尺6寸(約2.9m)の聖観音立像が建っている。宝暦4(1754)年の吉田大橋架替工事にあたり,難工事に困った江戸下谷の大工2人が岩屋観音堂に参籠し,夢のお告げにより橋を完成させ,その報恩のため2人が発起人となり,明和2(1765)年に江戸下谷の講中によって建立されたものである。しかし,第2次世界大戦中の昭和19(1944)年に供出されて一時は姿を消したが,同25(50)年に再建された。なお,観音堂の参道にある鐘楼(しょうろう)の裏側の岩場に文化12(1815)年に建立された古市木朶(もくだ)の「かすむ日や 海道一の たちほとけ」の句碑がある。

 関連項目 - 池田綱政と観音霊験(民話) 一筋の縄(民話)

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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