やまもと・ただすけ(1822~75)

 山本忠佐は,文政5(1822)年8月6日,遠江(とおとうみ)新居関所の小役人山本定七直正の長男に生まれた。幼名を勘三郎,謙斎・恕軒と号した。吉田(豊橋)藩校時習館教授中山美石(うまし)に学ぶ。天保14(1843)年,家督を継ぎ,時習館素読教方となった。嘉永3(1850)年から,学頭職にあった。しかし,震災処理や藩主の復統問題など藩主に直言してはばからなかったことが禍して,安政3(1856)年,新居関所下改役に左遷された。新居関所勤務の間,家塾を開いた。慶応2(1866)年,吉田に戻り,さらに時習館に儒者として復帰した。著書に,「時習館日記」などがある。明治8(1875)年7月18日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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