やまもと・かんすけ(1493~1561)

 山本勘助は,明応2(1493)年8月15日,八名郡加茂庄(豊橋市賀茂町)で,2500石を領した山本光幸の第3子に生まれたという。「参河国名所図絵」や「牛久保密談記」には明応9(1500)年8月5日,山本藤士郎の3男とある。「甲陽軍鑑」では明応2(1493)年生まれとある。伝本によって差異があるが,大略以下のようである。

 15歳の時,牛久保(豊川市牛久保町)の牧野家臣大林貞次の養子となる。20歳で養家を出て,西国に武者修行した。35歳で養家に戻ったが,大林貞次に実子が生まれていたので,山本に復姓して,ふたたび諸国巡遊の旅に出た。小田原・鎌倉・駿府などで仕官しようとした。天文12(1543)年,甲斐の武田信玄にその器量を認められて,兵法家として300貫で召し抱えられた。名乗りは貞幸であったが,武田信玄晴信から1字与えられて晴幸と名乗ったという。高遠城・小諸城・海津城などの城取(しろどり)をし,その修築を手がけたという。永禄4(1561)年9月10日,川中島で戦死した。

 参考文献 - 上野晴朗「山本勘助」
 関連項目 - 本願寺(豊橋市賀茂町出口)

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!