おのだ・きちじろう(1822~79)

 小野田吉次郎は,文政5(1822)年1月15日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市西七根町)の高橋能経の3男として生まれた。長じて渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田家に養嗣子となった。

 小野田吉次郎は26歳の時に,羽田野敬雄に国学を学び,殖産興業・自力更生に努め,荒地の開拓に明け暮れた。渥美郡上細谷村(豊橋市細谷町)の朝倉仁右衛門に触発され,明治8(1875)年,村中葬祭を神道に従わせた。明治12(1879)年1月5日,没した。明治45(1912)年,高塚に頌徳碑「故小野田はん道翁碑」が建てられた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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