おぶち・しち(1847~1929)

 小淵志ちは,弘化4(1847)年10月2日,上野国勢多郡富士見村(群馬県勢多郡富士見村)の小淵徳右衛門の2女に生まれた。15歳の時,前橋の製糸業蔦屋三次方へ住み込み女工となった。16歳の時,自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めた。明治12(1879)年隣村の中島徳次郎と故郷を出奔,渥美郡二川(豊橋市二川町)の橋本屋旅館に宿泊したのが縁で,同地に製糸工場を創業した。明治18(1885)年大岩(豊橋市大岩町)に100坪の工場を建て,亡夫徳次郎の名を付け「糸徳製糸工場」とした。当時,製糸業者からくず繭として見向きもされなかった玉繭に着目し,その解舒法(かいじょほう)に成功,玉糸製糸の始祖となった。明治34(1901)年,三遠玉糸同業組合に参加した。明治37(1904)年,二川菊水社を組織した。昭和4(1929)年3月16日,没した。

 昭和4(1929)年,岩屋山麓に「小淵志智子」像が建立された。第2次世界大戦中金属供出されたが,昭和61(1986)年再建された。

 参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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