こまつばらむら
小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年)の分立の前後とされる。渥美郡小松原村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に102石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に東観音寺領117石余とある。安永9(1780)年の家数62,人数250であった。産土神(うぶすなかみ)の進雄(すさのお)社は,宝永4(1707)年の地震・津波で遷座した。「三河国二葉松」(元文5年)に「寺領百二石,禅宗関山派,本寺京都妙心寺,小松原山東観音寺」とある。明治11(1878)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村が合併して五並(いなみ)村となった。明治17(1884)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・七根村となった。昭和30(1955)年,豊橋市小松原町となった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年)の分立の前後とされる。渥美郡小松原村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に102石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に東観音寺領117石余とある。安永9(1780)年の家数62,人数250であった。産土神(うぶすなかみ)の進雄(すさのお)社は,宝永4(1707)年の地震・津波で遷座した。「三河国二葉松」(元文5年)に「寺領百二石,禅宗関山派,本寺京都妙心寺,小松原山東観音寺」とある。明治11(1878)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村が合併して五並(いなみ)村となった。明治17(1884)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・七根村となった。昭和30(1955)年,豊橋市小松原町となった。
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