おがわ・げんきち(1875~1946)

 小川元吉は,明治8(1875)年9月28日,静岡県富士郡原田村(富士市原田)の小川長平の5男に生まれた。明治27(1894)年歩兵第18聯隊に入営した。日露戦争に際しては軍曹にすすみ,軍旗護衛兵に選ばれた。明治37(1904)年5月26日南山の戦いでは軍旗に敵の銃火が集中し,旗手山田少尉が傷つき,代わった土川中尉も敵弾を受けた。小川元吉軍曹は,軍旗を捧げて匍匐(ほふく)前進した。明治39(1906)年4月,この勲功で功6級金鵄(きんし)勲章(くんしょう)を拝受した。大正4(1915)年,特務曹長で退役した。

 大正4(1915)年から昭和11(1936)年まで豊橋中学校で教練を担当した。以後中等学校生を補導する東三中学校教護聯盟の主事を務めた。中等学校生からはキャートクといって恐れられた。キャートクの愛称は「気を付け」という号令がカン高い声で「キャーツケー」となり,特務曹長であるところからキャートクと付けられたものらしい。昭和21(1946)年1月22日,飯田線長山駅で右大腿部切断の事故に遭い,同21(46)年1月24日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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