こいわい・たかこ(1906~66)
小岩井多嘉子は,明治39(1906)年3月12日,新潟県高田市(上越市)に山岸宏隆の長女として生まれた。東京女子大学校高等部を卒業し,文化生活研究所(出版社)へ入社。その後,新潮社の雑誌「新潮」および「日の出」のフリー・ランサーとして勤務した。昭和11(1936)年12月婦人公論の特派員となり,満州へ旅行中の翌12(37)年日華事変従軍記者となり北支戦線や中支戦線を巡回した。
昭和13(1938)年12月上海を訪れ,翌14(39)年1月中国婦女協推進会を設立した。昭和20(1945)年8月第2次世界大戦終戦を迎え,帰国し新潟県の委嘱により,新憲法の普及講師となった。昭和22(1947)年2月,愛知大学教授小岩井浄と結婚した。家庭に入ってからも講演や原稿の依頼に応じ文筆活動を果たしていた。昭和41(1966)年1月,没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
小岩井多嘉子は,明治39(1906)年3月12日,新潟県高田市(上越市)に山岸宏隆の長女として生まれた。東京女子大学校高等部を卒業し,文化生活研究所(出版社)へ入社。その後,新潮社の雑誌「新潮」および「日の出」のフリー・ランサーとして勤務した。昭和11(1936)年12月婦人公論の特派員となり,満州へ旅行中の翌12(37)年日華事変従軍記者となり北支戦線や中支戦線を巡回した。
昭和13(1938)年12月上海を訪れ,翌14(39)年1月中国婦女協推進会を設立した。昭和20(1945)年8月第2次世界大戦終戦を迎え,帰国し新潟県の委嘱により,新憲法の普及講師となった。昭和22(1947)年2月,愛知大学教授小岩井浄と結婚した。家庭に入ってからも講演や原稿の依頼に応じ文筆活動を果たしていた。昭和41(1966)年1月,没した。
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