とみた・よしほ(1848~1925)

 富田良穂は,嘉永元(1848)年4月7日,吉田(豊橋)藩士の子として生まれた。慶応2(1866)年小野湖山に師事,明治4(1871)年平田篤胤没後門人となった。明治7(1874)年,弥彦神社(新潟県)の神官となったが,同9(76)年辞して帰郷した。明治17(1884)年愛知県会議員,同22(89)年豊橋町会議員,同34(1901)年から同38(05)年豊橋町助役,同40(07)年から大正2(1913)年豊橋市収入役を歴任した。

 明治26(1893)年,三河で最初の月刊和歌誌「さとのひかり」を創刊(富田良穂の死後「良穂追悼号」[382号]を発行,昭和17年594号で廃刊)した。さらに,自ら経営する杉之戸活版所で「皇朝詠史歌集」をはじめ多くの歌学入門書を著作・発行した。大正14(1925)年2月5日,没した。没後50年祭(昭和46年)に「富田良穂集」が刊行され,豊橋公園に「三河なる 二葉の松の 生立て 今やときはの 色にいつらむ」という歌碑が建立された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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