ほうりんじ
大徳山宝林寺(曹洞宗)の創立は,応永3(1396)年で後方の山上にあったと伝わる。元来は六連(むつれ)(田原市)の長仙寺末の真言寺院であったが,後に元今川家家臣一乾徳公座元が開基として再興改宗したものとされる。元禄16(1703)年庸山仲公和尚の時,法地に転格し岡崎竜海院第16世碧雲見竜和尚を開山に請した。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「大徳山宝林寺,右西三川岡崎竜海院末寺,平僧,客殿六間・四間半」とあり,今川義元より寺領の証文を受けていたが,幕府時代には引き継がれなかった。第13世泰雲仙国和尚(?~1859)は,岡崎竜海院第28世となり,以来師の法系によって岡崎竜海院一統の寺々はこの法系によって相続されている。寛政年間(1789~1801)本堂再建,老朽化のため,平成3(1991)年庫裏(くり),同6(94)年奥書院などを再建した。本尊は釈迦如来坐像である。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
大徳山宝林寺(曹洞宗)の創立は,応永3(1396)年で後方の山上にあったと伝わる。元来は六連(むつれ)(田原市)の長仙寺末の真言寺院であったが,後に元今川家家臣一乾徳公座元が開基として再興改宗したものとされる。元禄16(1703)年庸山仲公和尚の時,法地に転格し岡崎竜海院第16世碧雲見竜和尚を開山に請した。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「大徳山宝林寺,右西三川岡崎竜海院末寺,平僧,客殿六間・四間半」とあり,今川義元より寺領の証文を受けていたが,幕府時代には引き継がれなかった。第13世泰雲仙国和尚(?~1859)は,岡崎竜海院第28世となり,以来師の法系によって岡崎竜海院一統の寺々はこの法系によって相続されている。寛政年間(1789~1801)本堂再建,老朽化のため,平成3(1991)年庫裏(くり),同6(94)年奥書院などを再建した。本尊は釈迦如来坐像である。
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