そうへんりゅう

 吉田(豊橋)における茶道は,宗へん流の流祖山田宗へん(1627頃~1708)が千宗旦(利休の孫)の高弟となり,明暦元(1655)年29歳の時,師宗旦の代理として,吉田(豊橋)城主小笠原忠知の茶頭となって吉田へ来住した時からはじまるといってよい。小笠原家に4代43年にわたって仕えた宗へんの影響は大きく,元禄10(1697)年小笠原家の岩槻(埼玉県岩槻市)へ転封を機に息子の宗引に後を譲って隠居した。家元山田家は明治維新に至るまで小笠原家の茶道であったが,4代宗也,5代宗俊とそれぞれ15歳で家を継いだため,宗也の師,神谷松見の系統が強くなり,江戸後期には松見門の僧,不蔵庵竜渓が江戸から来て,三遠地方に流を広め,三遠は宗へん流の地盤となった。吉田の宗へん流もその通りで,他流は表千家がややあり,江戸末に田原から南坊流が少し影響する程度であった。豊橋の宗へん流は,平成元(1989)年に家元山田家と臨済寺を中心とした宗へん吉田流とに分立した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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