あんようじ(むかいやま)
妙向山安養寺(臨済宗妙心寺派)は,大正13(1924)年,渥美郡老津村(豊橋市老津町)から向山に移転した寺院である。創建は承安3(1173)年で,熊野山安養寺といい,天台宗の寺院であった。江戸時代からは老津の太平寺に属し,桂昌寺領から黒印二石を受けていた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,熊野山安養寺,太平寺末寺,平僧,客殿四間・三間,寺領弐石目,右桂昌寺領之内・阿弥陀堂三間・四間,無堂守,右安養寺支配」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,熊野山安養寺」とある。
大正13(1924)年,正宗寺第25世松州和尚は,田舎より豊橋市に出てくる人が多く,市内に臨済宗寺院が少ないのを憂い,一寺院の建立を発願した。たまたま向山の現在地に俗称「おはつ弘法」という弘法堂があった。この堂は豊橋市魚町に住んでいた福田はつ女の私堂であったが,大正12(1923)年建物とともに境内600余坪が正宗寺に寄進され,安養寺の寺号を移し,山号を妙向山として正宗寺末となった。
本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年6月の空襲により全山焼失した。昭和22(1947)年本堂,庫裏(くり)を再建した。また,平成6(1994)年7月庫裏を再建し,昭和25(1950)年3月向山保育園を開園した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
妙向山安養寺(臨済宗妙心寺派)は,大正13(1924)年,渥美郡老津村(豊橋市老津町)から向山に移転した寺院である。創建は承安3(1173)年で,熊野山安養寺といい,天台宗の寺院であった。江戸時代からは老津の太平寺に属し,桂昌寺領から黒印二石を受けていた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,熊野山安養寺,太平寺末寺,平僧,客殿四間・三間,寺領弐石目,右桂昌寺領之内・阿弥陀堂三間・四間,無堂守,右安養寺支配」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,熊野山安養寺」とある。
大正13(1924)年,正宗寺第25世松州和尚は,田舎より豊橋市に出てくる人が多く,市内に臨済宗寺院が少ないのを憂い,一寺院の建立を発願した。たまたま向山の現在地に俗称「おはつ弘法」という弘法堂があった。この堂は豊橋市魚町に住んでいた福田はつ女の私堂であったが,大正12(1923)年建物とともに境内600余坪が正宗寺に寄進され,安養寺の寺号を移し,山号を妙向山として正宗寺末となった。
本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年6月の空襲により全山焼失した。昭和22(1947)年本堂,庫裏(くり)を再建した。また,平成6(1994)年7月庫裏を再建し,昭和25(1950)年3月向山保育園を開園した。
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