ひめかいどう
姫街道は,江戸時代東海道の付属街道であった本坂通(ほんざかどおり)の別称である。豊橋市内は,国道362号に指定されている。この名が使用されるようになったのは,江戸時代末期ごろからである。街道は御油宿(豊川市)の南で東海道と分かれ,豊川(とよがわ)を渡った後に本坂峠を越え,浜名湖北岸を通って浜松宿(浜松市),または見付宿(磐田市)で再び東海道と合流するルートであった。古代より東海道のバイパスとしての役割を果たし,浜名湖南岸を通る東海道が地震等の災害で通行困難になった場合には多くの利用者があった。
江戸時代には宝永4(1707)年の大地震後,交通量が増大し,嵩山(すせ)・三ヶ日・気賀などの人馬継立を行う村々は通行禁止を願い出た。この結果,一時は交通量は減少したが,大名行列などの利用がたびたびあり,明和元(1764)年には道中奉行管轄の宿場とされた。姫街道という名前の由来については,今切(新居)関所での「入鉄砲に出女」と呼ばれる詮議を避けて女性の交通が多かったからとか,今切(いまぎれ)という地名を縁起を担いで女性が避けたから,あるいは古いという意味の「ひね」が訛り「ひね街道」が「ひめ街道」になったなど諸説がある。
関連項目 - 国道362号
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
姫街道は,江戸時代東海道の付属街道であった本坂通(ほんざかどおり)の別称である。豊橋市内は,国道362号に指定されている。この名が使用されるようになったのは,江戸時代末期ごろからである。街道は御油宿(豊川市)の南で東海道と分かれ,豊川(とよがわ)を渡った後に本坂峠を越え,浜名湖北岸を通って浜松宿(浜松市),または見付宿(磐田市)で再び東海道と合流するルートであった。古代より東海道のバイパスとしての役割を果たし,浜名湖南岸を通る東海道が地震等の災害で通行困難になった場合には多くの利用者があった。
江戸時代には宝永4(1707)年の大地震後,交通量が増大し,嵩山(すせ)・三ヶ日・気賀などの人馬継立を行う村々は通行禁止を願い出た。この結果,一時は交通量は減少したが,大名行列などの利用がたびたびあり,明和元(1764)年には道中奉行管轄の宿場とされた。姫街道という名前の由来については,今切(新居)関所での「入鉄砲に出女」と呼ばれる詮議を避けて女性の交通が多かったからとか,今切(いまぎれ)という地名を縁起を担いで女性が避けたから,あるいは古いという意味の「ひね」が訛り「ひね街道」が「ひめ街道」になったなど諸説がある。
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