おおた・こうそん(1903~91)
太田鴻村は,明治36(1903)年6月2日,宝飯郡牛久保町中条(豊川市中条町)の農家の2男に生まれた。大正8(1919)年臼田亜浪に師事していた兄・芳郎(俳号・穂村)が急死したのを機に亜浪に師事,国学院大学在学中に「石楠(しゃくなげ)社」に出入りした。
大正14(1925)年茨城県下妻中学校,昭和2(1927)年岡崎市立高等女学校に勤務するが,病気療養のため退職した。昭和12(1937)年刈谷高等女学校,同15(40)年国府高等女学校,同28(53)年,豊橋東高等学校教諭を歴任し,昭和39(1964)年,退職した。
この間,昭和4(1929)年に「林苑」を創刊,主宰したほか,「明治俳句史論」(昭和14年),句集「穂国」(昭和16年),第2句集「潮騒」(昭和23年),第3句集「群青(ぐんじょう)」(昭和30年),第4句集「天平の風鐸(ふうたく)」(昭和52年),第5句集「隠岐の郭公」(昭和56年)を刊行した。平成3(1991)年3月12日,没した。東三河各地に多くの句碑が建立された。弓張は 日の道萌ゆる 樹の姿 (昭和56年 豊橋市向山町 豊橋東高等学校)
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
太田鴻村は,明治36(1903)年6月2日,宝飯郡牛久保町中条(豊川市中条町)の農家の2男に生まれた。大正8(1919)年臼田亜浪に師事していた兄・芳郎(俳号・穂村)が急死したのを機に亜浪に師事,国学院大学在学中に「石楠(しゃくなげ)社」に出入りした。
大正14(1925)年茨城県下妻中学校,昭和2(1927)年岡崎市立高等女学校に勤務するが,病気療養のため退職した。昭和12(1937)年刈谷高等女学校,同15(40)年国府高等女学校,同28(53)年,豊橋東高等学校教諭を歴任し,昭和39(1964)年,退職した。
この間,昭和4(1929)年に「林苑」を創刊,主宰したほか,「明治俳句史論」(昭和14年),句集「穂国」(昭和16年),第2句集「潮騒」(昭和23年),第3句集「群青(ぐんじょう)」(昭和30年),第4句集「天平の風鐸(ふうたく)」(昭和52年),第5句集「隠岐の郭公」(昭和56年)を刊行した。平成3(1991)年3月12日,没した。東三河各地に多くの句碑が建立された。弓張は 日の道萌ゆる 樹の姿 (昭和56年 豊橋市向山町 豊橋東高等学校)
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