たいへいじ
長松山太平寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,嘉応年中(1169~1171)であり,開山は峯翁祖一禅師である。真言宗の寺であったが,延元年中(1336~1340)大暁正宗国師峯翁祖一和尚が再興し臨済宗となった。寛永年中(1624~1644)大円光覚禅師雲竜善祥和尚が中興となり,その法系を伝え,現在17世となる。文政6(1823)年の調書によれば末寺21か寺を数え,衆寮を開設し,内外の経典を講ずる地方の中心道場であった。戸田家,今川家より寄進状を受け栄えたが,負け戦さで逃げ込んだ徳川家康を助け,現在もそれを伝える「不開(あかず)の門」がある。裏山には東照宮があり葵紋を許され寺領35石の朱印状を受けていた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,長松山太平寺,京都妙心寺末寺,長老,客殿九間半・五間,境内八十間・百間,御朱印寺領三拾五石目,地蔵堂二間四方,右太平寺支配,堂守西清」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「大津村,寺領三十五石,禅宗関山派,開基天暁禅師,本寺京都妙心寺,長松山大平寺」とある。本尊は、薬師如来立像である。
昭和19(1944)年秋以降兵員270が滞在した。昭和32(1957)年「太平寺寺領坪付」・「銅鐘」,同58(83)年「大休禅師画像」,同62(87)年「雪叟詩集」・「金剛般若経」,平成5(1993)年「旧本堂襖絵」が豊橋市有形文化財に指定された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
長松山太平寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,嘉応年中(1169~1171)であり,開山は峯翁祖一禅師である。真言宗の寺であったが,延元年中(1336~1340)大暁正宗国師峯翁祖一和尚が再興し臨済宗となった。寛永年中(1624~1644)大円光覚禅師雲竜善祥和尚が中興となり,その法系を伝え,現在17世となる。文政6(1823)年の調書によれば末寺21か寺を数え,衆寮を開設し,内外の経典を講ずる地方の中心道場であった。戸田家,今川家より寄進状を受け栄えたが,負け戦さで逃げ込んだ徳川家康を助け,現在もそれを伝える「不開(あかず)の門」がある。裏山には東照宮があり葵紋を許され寺領35石の朱印状を受けていた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,長松山太平寺,京都妙心寺末寺,長老,客殿九間半・五間,境内八十間・百間,御朱印寺領三拾五石目,地蔵堂二間四方,右太平寺支配,堂守西清」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「大津村,寺領三十五石,禅宗関山派,開基天暁禅師,本寺京都妙心寺,長松山大平寺」とある。本尊は、薬師如来立像である。
昭和19(1944)年秋以降兵員270が滞在した。昭和32(1957)年「太平寺寺領坪付」・「銅鐘」,同58(83)年「大休禅師画像」,同62(87)年「雪叟詩集」・「金剛般若経」,平成5(1993)年「旧本堂襖絵」が豊橋市有形文化財に指定された。
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