てんぱくえんしゅうじょうかんてきじょ
天伯原陸軍演習場は,豊橋市の南部にひろがる天伯原台地一帯に設置されていた。面積約2740haに及ぶ。演習場のほぼ中央,豊橋市東七根町字稲場,浜田川左岸丘陵縁には,天伯原陸軍演習場の監的所が,平成15(2003)年まで残っていた。監的所とは,演習場において行われる軍事演習時の射撃実行の適否および効力の大小を審査鑑定する監的哨が勤務するために設置されていた建物である。監的哨は,演習時のみに置かれ,1人の将校を監的哨長とし,それに属する若干名の下士卒がいた。
監的所は,コンクリート造で全体の形は直方体で,平面形は長方形を呈していた。幅約10.75m,奥行約5m,高さ約2.9mである。東面側壁に出入口と観測窓がある。観測窓が現在資源化センターのある東北方向を見るように建てられている。また屋根には土砂がのっているが,本来は背面や側面も丘陵内に隠れ半地下式になっていたとされる。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
天伯原陸軍演習場は,豊橋市の南部にひろがる天伯原台地一帯に設置されていた。面積約2740haに及ぶ。演習場のほぼ中央,豊橋市東七根町字稲場,浜田川左岸丘陵縁には,天伯原陸軍演習場の監的所が,平成15(2003)年まで残っていた。監的所とは,演習場において行われる軍事演習時の射撃実行の適否および効力の大小を審査鑑定する監的哨が勤務するために設置されていた建物である。監的哨は,演習時のみに置かれ,1人の将校を監的哨長とし,それに属する若干名の下士卒がいた。
監的所は,コンクリート造で全体の形は直方体で,平面形は長方形を呈していた。幅約10.75m,奥行約5m,高さ約2.9mである。東面側壁に出入口と観測窓がある。観測窓が現在資源化センターのある東北方向を見るように建てられている。また屋根には土砂がのっているが,本来は背面や側面も丘陵内に隠れ半地下式になっていたとされる。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!