だいうんじ
金福山大雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文保元(1317)年で,開山は桂昌寺(豊橋市老津町)2世少林快哉禅師と伝え,往古は臨済宗建長寺派であったが,天文年中(1532~55)に妙心寺派に改めた。創立以後,中興開山梅谷禅師を経て,徳川初期の快天悦公首座が再興するまでの沿革は定かではない。本尊は釈迦牟尼如来坐像である。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,古天台金福山大雲庵,太平寺末寺,平僧,客殿六間・三間半,寺領壱石,右桂昌寺領之内」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,金福山大雲庵一石」とある。はじめ快天悦公和尚が再建,後享保2(1717)年中興慧均和尚が再興し,大正4(1915)年に新築したのが現本堂である。庫裏(くり)は宝暦6(1756)年慧均和尚が再建,後に,弘化4(1847)年に改築した。旧山号天台山についての詳細は不明である。
明治維新前後は寺子屋を開設していた。阿弥陀堂に祀られていた三十三観音像が,第2次世界大戦直後の大崎航空隊の火薬処理の爆風によって破砕された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
金福山大雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文保元(1317)年で,開山は桂昌寺(豊橋市老津町)2世少林快哉禅師と伝え,往古は臨済宗建長寺派であったが,天文年中(1532~55)に妙心寺派に改めた。創立以後,中興開山梅谷禅師を経て,徳川初期の快天悦公首座が再興するまでの沿革は定かではない。本尊は釈迦牟尼如来坐像である。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,古天台金福山大雲庵,太平寺末寺,平僧,客殿六間・三間半,寺領壱石,右桂昌寺領之内」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,金福山大雲庵一石」とある。はじめ快天悦公和尚が再建,後享保2(1717)年中興慧均和尚が再興し,大正4(1915)年に新築したのが現本堂である。庫裏(くり)は宝暦6(1756)年慧均和尚が再建,後に,弘化4(1847)年に改築した。旧山号天台山についての詳細は不明である。
明治維新前後は寺子屋を開設していた。阿弥陀堂に祀られていた三十三観音像が,第2次世界大戦直後の大崎航空隊の火薬処理の爆風によって破砕された。
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