おおがりむら

 大苅村は,「三河国村々高附」(寛永期)では大苅村,「三河国八郡村名附」では大賀利(おがり)である。「大蚊里」と記して「オガサト」と呼称するようになったのは近年である。宝飯郡大苅村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に大苅村234石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に大蚊里村豊橋藩領分233石余とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数21,人数95であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大蚊里村「牛頭天王,正八幡宮,禅宗神寿山東昌寺」とある。明治17(1884)年,大蚊里村は大村に合併した。昭和7(1932)年,豊橋市大村町となり,昭和18(1943)年,豊橋市大村町字大賀里の字を設定した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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