だいしょうじ

 明王山大聖寺(真言宗醍醐派)の創立は,阿遮羅院栄伝法印である。永正元(1504)年で,開山は宝飯郡篠束村(宝飯郡小坂井町)にあったが,天正4(1576)年吉田(豊橋)守上(豊橋市松葉町称名院門前の道路を隔てた東側の丘稜地)に移転した。

 大聖寺ははじめ永宝院と称したが,文化2(1805)年5月大聖寺と改めた。宿(宝飯郡小坂井町)の安養寺(東三河一円の修験総触元)の直属で吉田一帯の支配をして,これを袈裟頭と称した。寛政9(1797)年3月三宝院門主から桐菊御紋の御提灯許状を受けた。明治33(1900)年11月29日,現在の石塚庚申堂の地に移転した。

 本尊は,「三河国吉田名蹤綜録」(文化年間)に定朝作薬師仏とあるが,現在は不動明王像である。ほかに降天の秋葉神という木像があり,この像は旧吉田城内にあった松平家鎮守の秋葉社から享保年間(1716~36)に移したものと伝えている。昭和20(1945)年6月の空襲で一部焼失した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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