おおつむら

 渥美郡大津村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に1743石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に北大津村豊橋藩領分1068石余,八所・神明・三島社領9石,桂昌寺領12石余,南大津村豊橋藩領分741石余,太平寺領35石余」とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数420,人数2037であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「神明,八王子権現,三嶋大明神,禅宗長松山大平寺,禅宗天香山桂昌寺,同宗古天台金福山大雲庵,同宗熊野山安養寺,同宗天江山神雲庵,同宗薬王山多門院,同宗聖谷山慈洞庵」とある。

 「三河国二葉松」(元文5年)に「大津村古城号城山,彦坂小刑部,戸田金左衛門,同三郎左右衛門」「神明・三嶋・八王子社領九石,神主中村重左衛門」「寺領三十五石,禅宗関山派,開基天暁禅師,本寺京都妙心寺,長松山太平寺,御朱印二十二石余,内十七石寺領,右同宗本寺,同村太平寺,天香山桂昌寺,寺領五石,訣呑江山祥雲庵一石,金福山大雲庵一石,熊野山安養寺二石,医王山多門院六斗,聖谷山慈洞庵四斗,右太平寺末」とある。

 明治11(1878)年,北大津村・南大津村・森崎新田は合併して老津村となった。「老津」は,紫式部の「老津島 島守る神や 諌むらん 波もさはがめ 童べの浦」にちなんだという。昭和30(1955)年,豊橋市老津町となる。昭和47(1972)年,豊橋市老津町字蜷島・字仏島・字長松島など海中の字が廃止された。

 関連項目 - 海中の字の廃止

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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