だいがんじ

 亀見山大岩寺(曹洞宗)は,もと岩屋山麓にあって,岩屋観音に奉仕した6坊中の1坊で,真言宗普門寺の末寺であった。他の5坊の衰退の後は,大岩寺だけが残って観音堂の奉仕管理を続けていた。正応元(1288)年,天正11(1583)年の2度にわたる住民の集団移転の度に大岩寺も移転した。天正13(1585)年には岩屋山が炎上し,観音堂一帯は焦土となり,衰退の一途をたどった。

 元和8(1622)年白須賀(湖西市)の宿芦寺通山宗達和尚が再興して開山となり,同時に曹洞宗に改宗した。正保元(1644)年,宿駅改正のため大岩,二川両村は一宿場となり,大岩寺も大岩村東郷内に移り,除地7石を領した。元禄・宝永(1688~1711)年間には,岡山藩主池田綱政の厚い保護を岩屋観音とともに受け,池田侯が二川宿通行の際には住職が本陣に出迎え,対談するのを常とした。また大通行の際の宿泊所や,万一の場合の避難所にも指定されていた。

 本尊は千手観世音菩薩坐像であるが,脇壇の薬師如来,十二神将,六地蔵菩薩像は,明治維新の際に各村の堂から移座したものである。本堂は,東観音寺が移転した際に譲り受け,移築したと伝えられているが,昭和45(1970)年に焼失し,同47(72)年に再建された。江戸時代,寺子屋を開き,30~40人の筆子(ふでこ)がいたといわれる。昭和32(1957)年「大岩寺岩屋堂観音経・灯籠及び絵馬」が豊橋市有形文化財に指定された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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