なつめ・みかまろ(1773~1822)

 夏目甕麿は,安永2(1773)年5月5日,浜名郡白須賀宿(湖西市白須賀)の酒造業を営む夏目忠蔵の長男として生まれた。幼名を舂太(うすた),通称を嘉右衛門といい,萩園と号した。寛政9(1797)年遠江(とおとうみ)国豊田郡大谷村(天竜市)の内山真竜の門に入り,翌10(98)年本居宣長に入門した。文化11(1814)年,普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町)に和歌の扁額2面を奉納した。文化11(1814)年隠居して国学と歌道に没頭し家産を傾け,文政5(1822)年5月5日,摂津国昆陽(こや)池(兵庫県伊丹市)で没した。

 著書に「万葉集摘草」「古都の若菜」などがある。なお,長男・加納諸平(もろひら)(1806~57)は,紀州藩医加納伊竹の養嗣子となり,紀州藩国学所初代総代に任命された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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