なつめ・かけい(1807頃~62)
夏目可敬は,文化4(1807)年ごろ,吉田(豊橋)上伝馬町に生まれた。通称を重蔵,字(あざな)可敬,米花園と号し,家業を継いで笹屋(金物屋)4代平次郎と称した。弘化元(1844)年,秋里籬島の「東海道名所図絵」に刺激されて「参河国名所図絵」の編述を思い立った。同町の久田登高(紺屋・阿波屋)を助手として,東三河の部11巻は,嘉永4(1851)年完成した。嘉永6(1853)年ごろ,東三河の部を江戸日本橋須原屋に売り渡した。西三河の部9巻は,挿絵のない未定稿のままであった。文久2(1862)年9月15日,没した。56歳前後という。
明治9(1876)年編纂助手であった久田登高(なりたか)(1828~90)は,東三河の部を須原屋から買い戻し,西三河の部の未定稿をも含めて羽田野敬雄の校閲を受けた。久田登高は,東三河の部11巻を宝飯郡広石村(宝飯郡御津町広石)の渡辺鑵造に売却した。久田登高が浄書したもの16巻が,稲橋(北設楽郡稲武町稲橋)の古橋家に所蔵されている。昭和9(1934)年愛知県教育会は「三河国名所図絵」の稿本を探し出して,「三河国名所図絵」上中下3巻として刊行した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
夏目可敬は,文化4(1807)年ごろ,吉田(豊橋)上伝馬町に生まれた。通称を重蔵,字(あざな)可敬,米花園と号し,家業を継いで笹屋(金物屋)4代平次郎と称した。弘化元(1844)年,秋里籬島の「東海道名所図絵」に刺激されて「参河国名所図絵」の編述を思い立った。同町の久田登高(紺屋・阿波屋)を助手として,東三河の部11巻は,嘉永4(1851)年完成した。嘉永6(1853)年ごろ,東三河の部を江戸日本橋須原屋に売り渡した。西三河の部9巻は,挿絵のない未定稿のままであった。文久2(1862)年9月15日,没した。56歳前後という。
明治9(1876)年編纂助手であった久田登高(なりたか)(1828~90)は,東三河の部を須原屋から買い戻し,西三河の部の未定稿をも含めて羽田野敬雄の校閲を受けた。久田登高は,東三河の部11巻を宝飯郡広石村(宝飯郡御津町広石)の渡辺鑵造に売却した。久田登高が浄書したもの16巻が,稲橋(北設楽郡稲武町稲橋)の古橋家に所蔵されている。昭和9(1934)年愛知県教育会は「三河国名所図絵」の稿本を探し出して,「三河国名所図絵」上中下3巻として刊行した。
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