こくみんぎゆうたい
国民義勇隊は,第2次世界大戦末期,米軍の本土上陸が必至となるや,時の小磯内閣は昭和20(1945)年3月,国民義勇隊の結成を閣議決定した。大政翼賛会・在郷軍人会・大日本婦人会などはこれに合流した。同隊の任務は築城・輸送・情報連絡・看護などで,地域別・職場別・学校別の志願者で組織された。昭和20(1945)年6月強制力を持った「国民義勇兵役法」が成立し,16歳から61歳までの男子・17歳から40歳までの女子を「国民義勇兵」として「国民義勇戦闘隊」に召集することができた。同時に発令された「国民義勇戦闘隊統率令」や「国民義勇戦闘隊教令」によって,軍事組織として訓練された。
兵役法の眼目は,①義勇隊員は召集されて義勇兵となる,②召集方法は口頭またはラジオ,③階級なし,指揮者は地区司令官,④武器自弁,無給,⑤勲章授与,戦死者は靖国神社に合祀であった。豊橋市では昭和20(1945)年6月20日,関屋町の吉田会館において全市的な結成式が挙行されることになっていたが,豊橋空襲によって中止され,焼け残った郊外の校区で個々に結成された。豊橋市国民義勇隊長は水野保市長・副隊長は在郷軍人連合分会の大森清秀大佐であった。また,各中等学校から選抜された生徒が,豊橋陸軍予備士官学校に集められ,幹部の即成訓練を受けた。訓練内容は,①爆薬の扱い方,②重機関銃の操作,③対戦車肉迫攻撃法,④毒ガス戦,訓練終了の生徒には「学徒義勇隊基幹要員」の証書が渡された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
国民義勇隊は,第2次世界大戦末期,米軍の本土上陸が必至となるや,時の小磯内閣は昭和20(1945)年3月,国民義勇隊の結成を閣議決定した。大政翼賛会・在郷軍人会・大日本婦人会などはこれに合流した。同隊の任務は築城・輸送・情報連絡・看護などで,地域別・職場別・学校別の志願者で組織された。昭和20(1945)年6月強制力を持った「国民義勇兵役法」が成立し,16歳から61歳までの男子・17歳から40歳までの女子を「国民義勇兵」として「国民義勇戦闘隊」に召集することができた。同時に発令された「国民義勇戦闘隊統率令」や「国民義勇戦闘隊教令」によって,軍事組織として訓練された。
兵役法の眼目は,①義勇隊員は召集されて義勇兵となる,②召集方法は口頭またはラジオ,③階級なし,指揮者は地区司令官,④武器自弁,無給,⑤勲章授与,戦死者は靖国神社に合祀であった。豊橋市では昭和20(1945)年6月20日,関屋町の吉田会館において全市的な結成式が挙行されることになっていたが,豊橋空襲によって中止され,焼け残った郊外の校区で個々に結成された。豊橋市国民義勇隊長は水野保市長・副隊長は在郷軍人連合分会の大森清秀大佐であった。また,各中等学校から選抜された生徒が,豊橋陸軍予備士官学校に集められ,幹部の即成訓練を受けた。訓練内容は,①爆薬の扱い方,②重機関銃の操作,③対戦車肉迫攻撃法,④毒ガス戦,訓練終了の生徒には「学徒義勇隊基幹要員」の証書が渡された。
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豊橋市議の長坂です。
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