ゆいしんじ
久遠山唯心寺(真宗大谷派)の創立は,元和3(1617)年で,開山は尊誉法師である。寺伝によると尊誉法師は九州島原の城主(城主の弟,または城主家臣とも伝えられている)で,キリシタンであったために弾圧を受け,三河国深溝村(額田郡幸田町深溝)に逃れた。尊誉法師は深溝村で仏教に帰依し天台宗の僧となったが,その後,渥美郡野田村(田原市野田町)に一宇を設立して浄土真宗に改宗したのが起源である。
13世徳存法師は豊橋移転進出を計画し,大正8(1919)年豊橋市花田町寺東(豊橋市東松山町)の現在地に移転を完了した。本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年6月の戦火によって伽藍(がらん)は全焼した。昭和26(1951)年新潟県中頸城郡板倉村にあった廃寺の本堂を解体し,その骨組を再利用して本堂を再建した。昭和26(1951)年3月本堂前に鐘楼(しょうろう)を新築した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
久遠山唯心寺(真宗大谷派)の創立は,元和3(1617)年で,開山は尊誉法師である。寺伝によると尊誉法師は九州島原の城主(城主の弟,または城主家臣とも伝えられている)で,キリシタンであったために弾圧を受け,三河国深溝村(額田郡幸田町深溝)に逃れた。尊誉法師は深溝村で仏教に帰依し天台宗の僧となったが,その後,渥美郡野田村(田原市野田町)に一宇を設立して浄土真宗に改宗したのが起源である。
13世徳存法師は豊橋移転進出を計画し,大正8(1919)年豊橋市花田町寺東(豊橋市東松山町)の現在地に移転を完了した。本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年6月の戦火によって伽藍(がらん)は全焼した。昭和26(1951)年新潟県中頸城郡板倉村にあった廃寺の本堂を解体し,その骨組を再利用して本堂を再建した。昭和26(1951)年3月本堂前に鐘楼(しょうろう)を新築した。
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