むかいやま
豊橋市向山町は,江戸期の仁連木(にれんぎ)村分地である。仁連木村の中央の東海道に沿った所に瓦町村が成立したのは,寛文4(1664)年で,その時,仁連木村分地となったものとされる。
仁連木村の村高は寛永期(1624~44)「三河国村々高附」に1096石余とあるが,「東海道宿村大概帳」(天保14年)に仁連木村888石余・仁連木村分地1001石余とある。明治11(1878)年12月20日に,郡区町村編制(愛知県布達甲第191号)が行われ,同11(78)年12月28日,町村分合改称(愛知県布達甲第286号)に,「餌指(えさし)町・旭町・東新(ひがししん)町・西新町・談合宮町・中瀬古町・中柴町・新銭町・飽海(あくみ)村・仁連木村分地合併 改豊橋村」とある。明治28(1895)年2月25日,渥美郡豊橋町と豊橋村は合併して豊橋町となり,同28(95)年11月25日,愛知県告示第108号に,「大字豊橋村改称ノ分飽海 旭町 東新町 西新町 談合 中世古 新川 中柴 向山」とある。仁連木村分地の通称「向山」が公式地名となった。この間に,餌指町は旭町に合併し,旧豊橋村新銭が新川町新銭(牟呂用水の修築竣工)となった。明治39(1906)年,豊橋市大字向山,大正15(1926)年向山町となる。
向山というのは,本村から見て向うにある山で,燃料にする薪を採ったり,肥料にする草を刈る里山である。向山という字は,豊橋市では杉山町・大崎町・橋良町・二川町・石巻萩平町・石巻西川町・石巻小野田町にあり,東三河では63の村々にある。
関連項目 - 仁連木村分地
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋市向山町は,江戸期の仁連木(にれんぎ)村分地である。仁連木村の中央の東海道に沿った所に瓦町村が成立したのは,寛文4(1664)年で,その時,仁連木村分地となったものとされる。
仁連木村の村高は寛永期(1624~44)「三河国村々高附」に1096石余とあるが,「東海道宿村大概帳」(天保14年)に仁連木村888石余・仁連木村分地1001石余とある。明治11(1878)年12月20日に,郡区町村編制(愛知県布達甲第191号)が行われ,同11(78)年12月28日,町村分合改称(愛知県布達甲第286号)に,「餌指(えさし)町・旭町・東新(ひがししん)町・西新町・談合宮町・中瀬古町・中柴町・新銭町・飽海(あくみ)村・仁連木村分地合併 改豊橋村」とある。明治28(1895)年2月25日,渥美郡豊橋町と豊橋村は合併して豊橋町となり,同28(95)年11月25日,愛知県告示第108号に,「大字豊橋村改称ノ分飽海 旭町 東新町 西新町 談合 中世古 新川 中柴 向山」とある。仁連木村分地の通称「向山」が公式地名となった。この間に,餌指町は旭町に合併し,旧豊橋村新銭が新川町新銭(牟呂用水の修築竣工)となった。明治39(1906)年,豊橋市大字向山,大正15(1926)年向山町となる。
向山というのは,本村から見て向うにある山で,燃料にする薪を採ったり,肥料にする草を刈る里山である。向山という字は,豊橋市では杉山町・大崎町・橋良町・二川町・石巻萩平町・石巻西川町・石巻小野田町にあり,東三河では63の村々にある。
関連項目 - 仁連木村分地
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