むかいやまおおいけ
向山大池は,古く承応3(1654)年に吉田(豊橋)藩主が築造させた溜池である。かつては,面積10町2反4畝29歩(約10ha)もあった文字通りの大きな池であった。この水は,吉田城下の下水道に引き入れられ,吉田城の外堀にも供給され,吉田方の水田まで流れていた。明治21(1888)年に牟呂用水が完成したため,以後は柳生川に水を流して付近の水田に灌漑(かんがい)用水として供給した。
昭和30(1955)年代までは,魚つり・舟遊び・水遊びなど,市民の遊び場として利用された。昭和42(1967)年に池の一部が埋め立てられて豊橋市民文化会館が建設され,昭和45(1970)年からはツツジ苑(約1万本)や芝生広場の造成が行われ,一周1200mの周遊園路・大池橋・休憩所などが整備された。昭和58(1983)年には向山・佐藤地区都市景観モデル地区のシンボル施設として,池の南側にジェット噴水が設置された。現在の水面積は約4ha,貯水量は4万立方メートルであり,ヨシが栽植されたり,浄化施設により水質の浄化が図られ,カモ類を中心とした渡り鳥の飛来も多い。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
向山大池は,古く承応3(1654)年に吉田(豊橋)藩主が築造させた溜池である。かつては,面積10町2反4畝29歩(約10ha)もあった文字通りの大きな池であった。この水は,吉田城下の下水道に引き入れられ,吉田城の外堀にも供給され,吉田方の水田まで流れていた。明治21(1888)年に牟呂用水が完成したため,以後は柳生川に水を流して付近の水田に灌漑(かんがい)用水として供給した。
昭和30(1955)年代までは,魚つり・舟遊び・水遊びなど,市民の遊び場として利用された。昭和42(1967)年に池の一部が埋め立てられて豊橋市民文化会館が建設され,昭和45(1970)年からはツツジ苑(約1万本)や芝生広場の造成が行われ,一周1200mの周遊園路・大池橋・休憩所などが整備された。昭和58(1983)年には向山・佐藤地区都市景観モデル地区のシンボル施設として,池の南側にジェット噴水が設置された。現在の水面積は約4ha,貯水量は4万立方メートルであり,ヨシが栽植されたり,浄化施設により水質の浄化が図られ,カモ類を中心とした渡り鳥の飛来も多い。
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