なごやてつどう

 昭和10(1935)年8月1日,愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併して,名古屋鉄道が成立した。愛知電気鉄道は,大正6(1917)年3月19日,有松線の神宮前~笠寺間が開通し,順次線路を延長して,同15(26)年4月1日,豊橋線東岡崎~伊奈信号所~小坂井間が開通し,豊川鉄道の小坂井~豊川間乗り入れを開始した。昭和2(1927)年6月1日,伊奈~平井信号所~吉田(豊橋)間の上り線を建設して,吉田(豊橋)~平井信号所間を豊川鉄道(下り線)とあわせて複線として共用することになった。この間,大正13(1924)年11月25日,愛知電気鉄道取締役社長藍川清成(1872~1948)と豊川鉄道専務取締役倉田藤四郎(1869~1951)との間で,線路の連絡並びに列車の直通運転,旅客・貨物の連絡運輸などに関して契約が結ばれた。

 豊川鉄道は,大正14(1925)年7月28日,契約事項の1つである吉田(豊橋)~長篠間の電化(架線電圧1500V)を行った。豊川鉄道が国鉄飯田線になった後も,名古屋鉄道の豊橋・豊川乗り入れは継続されていた。しかし,昭和29(1954)年12月25日,名古屋鉄道の豊川乗り入れは,豊川線新豊川(豊川稲荷)駅開業によって廃止された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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