きちじょういん

 神宮山吉祥院(曹洞宗)の創立は不明であるが,はじめは真言宗六連(田原市)長仙寺の末寺であったと伝えられている。永禄5(1562)年花屋栄公という僧によって曹洞宗に改宗再興して,竜門寺(田原市田原町)の天巷周東和尚の代に,竜門寺の末寺となった。旧幕時代は東に貴船神社,西に若宮社があり,前夜祭を務めていたことからも,真言時代両社の神宮寺であったことがうかがわれる。明治33(1900)年第5世宜山瑞応和尚の時,法地に転じ,竜門寺第25世無学梅文和尚を開山に請した。創立当時の寺址(じし)はすでに海中に没し,表浜の浸食により2回北方に移転したと伝えられる。天保8(1837)年,本堂再建,平成8(1996)年本堂・庫裏(くり)を再建した。本尊は,寛文13(1673)年作と伝えられる釈迦牟尼仏坐像である。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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