よしだこまびきせん
吉田駒曳銭は,幕府が寛永13(1636)年末,新銭の鋳造を全国的に拡大することを決め,寛永14(1637)年8月「鋳銭所」増設の制を発令したことに端を発する。全国に8か所「鋳銭所」が指定され,吉田(豊橋)藩も命令を受けた。幕府は,各銭座における新銭の様式,素材,銭型の大小を統一するために,各藩に手本銭を配布し,各藩はこの手本を模して寛永通宝を鋳造した。
吉田藩は,下リ町(豊橋市花園町)に南接する白山比咩(はくさんひめ)神社境内に銭座を開設した。吉田藩の鋳造した寛永通宝の詳細は不明で,わずかに「狭永」「広永」の2種類が判明している。鋳造は,寛永17(1640)年で終わっている。吉田鋳銭にともなう「吉田駒曳」と呼ばれる絵銭(えぜに)がある。大小,軽重の異なる数種類があるが,「吉田」の文字と「馬を曳く神官らしい人物」は共通している。「吉田駒曳銭」は通用銭ではなく数取りのために10文ごとに駒曵銭を鋳たという。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
吉田駒曳銭は,幕府が寛永13(1636)年末,新銭の鋳造を全国的に拡大することを決め,寛永14(1637)年8月「鋳銭所」増設の制を発令したことに端を発する。全国に8か所「鋳銭所」が指定され,吉田(豊橋)藩も命令を受けた。幕府は,各銭座における新銭の様式,素材,銭型の大小を統一するために,各藩に手本銭を配布し,各藩はこの手本を模して寛永通宝を鋳造した。
吉田藩は,下リ町(豊橋市花園町)に南接する白山比咩(はくさんひめ)神社境内に銭座を開設した。吉田藩の鋳造した寛永通宝の詳細は不明で,わずかに「狭永」「広永」の2種類が判明している。鋳造は,寛永17(1640)年で終わっている。吉田鋳銭にともなう「吉田駒曳」と呼ばれる絵銭(えぜに)がある。大小,軽重の異なる数種類があるが,「吉田」の文字と「馬を曳く神官らしい人物」は共通している。「吉田駒曳銭」は通用銭ではなく数取りのために10文ごとに駒曵銭を鋳たという。
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