よしだがわとせん

 吉田川(豊川(とよがわ))に架かる吉田大橋の大規模な修理・架け替えは幕府直轄で行われた。江戸時代初期の吉田大橋の架け替えの際には,古い橋を通行しながら新しい橋の架橋工事が行われたが,正徳3(1713)年の大修理からは吉田宿の船町が渡船を運航し東海道の交通が滞らないようにした。寛政5(1793)年の架け替え時には,定渡船8艘(そう)が用意され,2艘は御用船,6艘が往来船であった。大名行列など大規模な交通により船が不足する場合には,助船を出した。寛政5(1793)年の吉田大橋の修理・架け替えには前芝・平井・日色野・梅薮・馬見塚・三ッ相・吉川・牟呂の8か村が助船を出す村として指定されていた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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