よしだしゅく

 吉田(豊橋)宿は,江戸時代の東海道五十三次中,品川から数えて34番目の宿場町である。慶長6(1601)年の「伝馬朱印状」が残っていることから,東海道宿駅設置当初からの宿場であることがわかる。天保14(1843)年の「東海道宿村大概帳」によれば,東は二川まで1里20町,西は御油まで2里22町,江戸からの距離は73里23町45間。宿場の規模は,町並23町30間余り,人口5277人(内,男2505人,女2772人),家数1293軒(内,本陣2軒,脇本陣1軒,問屋場1軒),旅籠屋(はたごや)65軒(内,大1軒,中13軒,小51軒)であった。

 東海道に面した表町12町と裏町12町の計24町を伝馬役町・平役町・船役町・無役町に分け,伝馬役町と平役町が宿継人馬を負担した。宿場の中心は札木町で,問屋場・本陣・脇本陣などの主要施設が集中し,大手門前の辻には高札場もあった。名物は火打石でおこした火をうつしとる「ほくち」である。旅籠屋の飯盛女が多いことでも有名であった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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