よしだのおおはし

 吉田(豊橋)の大橋は,東海道吉田宿の北西,東海道が豊川(とよがわ)を横切る地点に架かる橋で,宿西北端の船町(豊橋市船町)と対岸の下地村(豊橋市下地町)を結ぶ。現在の「豊橋(とよばし)」よりもやや下流にあった。江戸時代には豊橋,豊川橋,吉田橋,吉田大橋などと呼ばれ,歌川広重の「保永堂版東海道吉田」をはじめ,吉田を描いた浮世絵の多くに登場する。橋と城の組み合わせは,江戸時代の吉田を代表する景観として認知された。

 東海道では岡崎の矢作橋,瀬田の唐橋とともに重要な橋の一つに数えられ,修理・架け替えなどは幕府が直接行った。江戸時代を通じて30数回の工事がくり返されたが,天保14(1843)年の「東海道宿村大概帳」には,「字吉田橋一,板橋,高欄付長九拾六間,横四間,橋杭四本立七組,但,両袖付,是ハ前々御作事奉行掛リニテ御普請有之」とある。明治12(1879)年,愛知県によって架橋されたのが最後の木橋で,正式に「豊橋」と改称された。大正5(1916)年からは鉄橋となり,昭和61(1986)年改架された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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