よしはし・とくさぶろう(1870~1920)

 吉橋徳三郎は,明治3(1870)年11月13日に埼玉県に生まれ,陸軍士官学校(第2期生)を経て騎兵将校となった。日露戦争で吉橋徳三郎中佐は第3師団参謀として従軍し,黒溝台の会戦では秋山好古少将の率いる秋山支隊に第3師団所属の騎兵第3聯隊も参加し,ロシア軍の背後を衝いて勝利に導いた。その功により吉橋徳三郎は功3級金鵄勲章を授与された。

 大正5(1916)年,陸軍少将に昇進し,豊橋の騎兵第4旅団長に任ぜられた。大正8(1919)年,山梨軍縮による騎兵削減問題が起こり,吉橋徳三郎は苦悩の末,大正9(20)年8月6日,身命を犠牲にして廓清を期すとして自裁した。大正10(1921)年,竜拈寺(りゅうねんじ)に秋山好古大将題字の「陸軍少将吉橋徳三郎追悼碑」が建立された。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!