なんりょうちゅうがっこう
豊橋市立南稜中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,本部を植田小学校に置き,植田教場(植田小学校)・大清水教場(植田小学校大清水分教場)・大崎教場(大崎小学校)・野依(のより)教場(野依小学校)に分散して,大崎小学校・植田小学校・野依小学校を校区とする南部第二中学校として発足した。昭和23(1948)年9月,南部第一中学校と統合して南部中学校となった。昭和24(1949)年4月,もと南部第二中学校は分離独立して南稜中学校と改称し,植田町的場に校地を求めた。昭和33(1958)年,大清水小学校を校区とする。昭和59(1984)年,新設された富士見小学校は高豊中学校区となった。昭和36(1961)年,校舎が竣工し,同47(72)年から同51(76)年,鉄筋3階建て校舎が建設された。平成17(2005)年度,生徒数701(20学級)。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋市立南稜中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,本部を植田小学校に置き,植田教場(植田小学校)・大清水教場(植田小学校大清水分教場)・大崎教場(大崎小学校)・野依(のより)教場(野依小学校)に分散して,大崎小学校・植田小学校・野依小学校を校区とする南部第二中学校として発足した。昭和23(1948)年9月,南部第一中学校と統合して南部中学校となった。昭和24(1949)年4月,もと南部第二中学校は分離独立して南稜中学校と改称し,植田町的場に校地を求めた。昭和33(1958)年,大清水小学校を校区とする。昭和59(1984)年,新設された富士見小学校は高豊中学校区となった。昭和36(1961)年,校舎が竣工し,同47(72)年から同51(76)年,鉄筋3階建て校舎が建設された。平成17(2005)年度,生徒数701(20学級)。
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