せんたいこつじぞう
筑前芦屋(福岡県遠賀郡芦屋)で源平の戦いが繰り広げられた。戦いは源氏の勝利に終わり,平家の大将・原田次郎種猶は捕らえられ,鎌倉に送られ土牢(つちろう)に閉じ込められていた。原田種猶の妻・栄燿尼は,逃げのびた先で男の子,花若丸を産んだ。13年後,花若丸は母,家臣とともに芦屋の浜を訪れ,戦死した武将たちの骨を集めて千体の地蔵を作った。それを厨子(ずし)に納めると,家臣に背負わせ,父の減刑・出牢を願い,経を唱えながら鎌倉に向かった。そんな噂が源頼朝の耳に入り,源頼朝の命により召されることとなった。花若丸は原田種猶の子どもであることを名乗り,鎌倉まで来た理由を話した。源頼朝は花若丸の孝心に心を打たれ,原田種猶を牢から出し,三河の国は足助庄(豊田市足助町)の地頭に任命したという。原田種猶親子は,足助に向かう道中,吉田の花ヶ崎(豊橋市松山町)まで来たとき,辺りの風景が芦屋と似ているところから,この地に正林寺(豊橋市南松山町)を建立し,千体骨地蔵を安置したという。
関連項目 - 正林寺(豊橋市南松山町)
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
筑前芦屋(福岡県遠賀郡芦屋)で源平の戦いが繰り広げられた。戦いは源氏の勝利に終わり,平家の大将・原田次郎種猶は捕らえられ,鎌倉に送られ土牢(つちろう)に閉じ込められていた。原田種猶の妻・栄燿尼は,逃げのびた先で男の子,花若丸を産んだ。13年後,花若丸は母,家臣とともに芦屋の浜を訪れ,戦死した武将たちの骨を集めて千体の地蔵を作った。それを厨子(ずし)に納めると,家臣に背負わせ,父の減刑・出牢を願い,経を唱えながら鎌倉に向かった。そんな噂が源頼朝の耳に入り,源頼朝の命により召されることとなった。花若丸は原田種猶の子どもであることを名乗り,鎌倉まで来た理由を話した。源頼朝は花若丸の孝心に心を打たれ,原田種猶を牢から出し,三河の国は足助庄(豊田市足助町)の地頭に任命したという。原田種猶親子は,足助に向かう道中,吉田の花ヶ崎(豊橋市松山町)まで来たとき,辺りの風景が芦屋と似ているところから,この地に正林寺(豊橋市南松山町)を建立し,千体骨地蔵を安置したという。
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