かとう・ちくじゅ(1883~1956)

 加藤竹寿,本名籌子(かずこ)は,明治16(1883)年6月24日,豊橋(豊橋市)の加藤倉次の長女として生まれた。明治33(1900)年小栗磯平(小栗風葉)と結婚,小栗風葉が死去するまで文筆活動を続け,「留守居」や「多事」を発表した。以後は茶華道などの教授をした。第2次世界大戦後,俳誌「くれ竹」を主宰した。また,句碑が,昭和22(1947)年石巻神社一の鳥居脇(森岡町)と,翌23(48)年仁長寺(豊橋市花園町)に建立された。昭和31(1956)年12月26日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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