まえだ・けんじ(1861~1927)
前田健次は,文久元(1861)年9月15日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田伝次郎の2男に生まれた。17歳の時,渥美郡野依村(豊橋市野依町)の山田家へ養子に行った。明治15(1882)年,前田伝次郎が経営する,細谷製糸所の所員となった。しかし,政治に関心をもって,明治23(1890)年には,渥美郡会議員,翌24(91)年には,愛知県会議員に当選した。
明治29(1896)年,細谷製糸所と取引があった横浜の生糸問屋・原合名会社から懇請されて,渡瀬(わたらせ)製糸所(埼玉県児玉郡神川村)の支配人として赴任した。工場の合理化を徹底して,2年で経営を立て直した。明治35(1902)年には,三井合名会社の名古屋・富岡・宇都宮・伊勢の4工場を買収し,自らは名古屋製糸所の所長として経営を引き受けた。蚕種改良事業を行い,明治43(1910)年尾南生糸製造同業組合を設立,組合長に就任した。大正3(1914)年には,愛知県蚕糸業同業組合聯合会を創設,会長となった。昭和2(1927)年,第3次帝国蚕糸株式会社の創立発起人となり,取締役に就任した。昭和2(1927)年11月25日,没した。
参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
前田健次は,文久元(1861)年9月15日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田伝次郎の2男に生まれた。17歳の時,渥美郡野依村(豊橋市野依町)の山田家へ養子に行った。明治15(1882)年,前田伝次郎が経営する,細谷製糸所の所員となった。しかし,政治に関心をもって,明治23(1890)年には,渥美郡会議員,翌24(91)年には,愛知県会議員に当選した。
明治29(1896)年,細谷製糸所と取引があった横浜の生糸問屋・原合名会社から懇請されて,渡瀬(わたらせ)製糸所(埼玉県児玉郡神川村)の支配人として赴任した。工場の合理化を徹底して,2年で経営を立て直した。明治35(1902)年には,三井合名会社の名古屋・富岡・宇都宮・伊勢の4工場を買収し,自らは名古屋製糸所の所長として経営を引き受けた。蚕種改良事業を行い,明治43(1910)年尾南生糸製造同業組合を設立,組合長に就任した。大正3(1914)年には,愛知県蚕糸業同業組合聯合会を創設,会長となった。昭和2(1927)年,第3次帝国蚕糸株式会社の創立発起人となり,取締役に就任した。昭和2(1927)年11月25日,没した。
参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」
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