えんまんじ
医王山円満寺(曹洞宗)の創立は不明であるが,寺伝によれば西方500mほど離れた神吉前医王と呼ぶ地にあって寺領を有する大寺院であったといい,近くの六連(むつれ)(田原市)長仙寺(真言宗)末の古刹(こさつ)であったと思われる。本尊は伝行基菩薩作薬師如来像で,円満寺が鎌倉時代以降次第に衰え,戦国時代兵火のため全焼したのち,大木の空洞に納められていた。寛永初年(1630頃),与五右衛門という旅人が守護のため一堂を構えたと伝える。
寛文6(1666)年,碧雲見竜和尚(のち岡崎竜海院第16世)が曹洞宗に改宗再興し,竜海院第15世深巌宗雪和尚を開山に請した。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「医王山円満寺,西三川岡崎竜海院末寺,当堂,客殿五間・三間」とある。寛政5(1793)年,昭和6(1931)年本堂再建,平成10(1998)年に改修した。しかし,檀徒(だんと)はなく,宝林寺(豊橋市杉山町)が,地域住民の護持のもとに管理している。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
医王山円満寺(曹洞宗)の創立は不明であるが,寺伝によれば西方500mほど離れた神吉前医王と呼ぶ地にあって寺領を有する大寺院であったといい,近くの六連(むつれ)(田原市)長仙寺(真言宗)末の古刹(こさつ)であったと思われる。本尊は伝行基菩薩作薬師如来像で,円満寺が鎌倉時代以降次第に衰え,戦国時代兵火のため全焼したのち,大木の空洞に納められていた。寛永初年(1630頃),与五右衛門という旅人が守護のため一堂を構えたと伝える。
寛文6(1666)年,碧雲見竜和尚(のち岡崎竜海院第16世)が曹洞宗に改宗再興し,竜海院第15世深巌宗雪和尚を開山に請した。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「医王山円満寺,西三川岡崎竜海院末寺,当堂,客殿五間・三間」とある。寛政5(1793)年,昭和6(1931)年本堂再建,平成10(1998)年に改修した。しかし,檀徒(だんと)はなく,宝林寺(豊橋市杉山町)が,地域住民の護持のもとに管理している。
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