ないとう・やだゆう(生没年不詳)

 大村(豊橋市大村町)の庄屋であったといわれる内藤弥太夫は,元禄4(1691)年,豊川(とよがわ)が氾濫したので,橋尾(宝飯郡一宮町橋尾)にあった灌漑(かんがい)用水の井堰(いぜき)が取水不能となり,草ヶ部(宝飯郡一宮町豊津)に移設した。

「松原用水記念碑」(大正7年建立)に,「元禄四年本流氾濫河身一変不復存旧観,乃謀開新渠於草部与対岸養父,議不相合訴諸幕府大村里正弥太夫者代十九村里正百方周旋分疏頗勉遂許之自是溝渠四通田皆為沃土」とある。しかし,伊藤博敏「大村史」では,この碑文の根拠となった資料などがなく,誤謬は免かれないと記している。

 松原用水は,永禄10(1567)年吉田(豊橋)城主酒井忠次の時,橋尾に堰を作って,下郷一帯800町歩の灌漑用水としたものである。なお,建設の由来は明らかでないが,八所神社(豊橋市大村町横走)には伝説があり,大村堰水開削の8人の義士が祀られ,井組24か村の水神様として崇敬されている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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