くもんいせき
公文遺跡は,豊橋市牟呂公文町に東西300m,南北200mほどの範囲で広がる12世紀から16世紀を中心とした集落址(し)・城館址である。
昭和60(1985)年から平成7(1995)年にかけて豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,豪族居館を囲む堀と推測される遺構や隣接する牟呂城址(じょうし)に関連した遺構・遺物などが発見されている。
堀状の遺構は,一条は南北方向に長さ51m以上,幅4m,深さ1.9mほどで断面V字状となり,中からは多量の中世陶器碗や小皿のほか,14頭分の馬骨と小量の牛骨が出土している。もう一条は東西方向に長さ34m以上,幅2.5m,深さ1~1.2m程で断面U字状となる。二条は12世紀前葉~13世紀前葉に機能しており,防御的な溝がL字状に配置されており,馬の存在からも居館を囲む堀の一部と推定される。またこれ以外に同様の範囲をコの字状に巡る小規模な溝も確認されているが,内部の居館とされる建物は不明である。牟呂城に隣接した地区では,城に伴う16世紀~18世紀の廃棄土壙(どこう)・溝なども発見されている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
公文遺跡は,豊橋市牟呂公文町に東西300m,南北200mほどの範囲で広がる12世紀から16世紀を中心とした集落址(し)・城館址である。
昭和60(1985)年から平成7(1995)年にかけて豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,豪族居館を囲む堀と推測される遺構や隣接する牟呂城址(じょうし)に関連した遺構・遺物などが発見されている。
堀状の遺構は,一条は南北方向に長さ51m以上,幅4m,深さ1.9mほどで断面V字状となり,中からは多量の中世陶器碗や小皿のほか,14頭分の馬骨と小量の牛骨が出土している。もう一条は東西方向に長さ34m以上,幅2.5m,深さ1~1.2m程で断面U字状となる。二条は12世紀前葉~13世紀前葉に機能しており,防御的な溝がL字状に配置されており,馬の存在からも居館を囲む堀の一部と推定される。またこれ以外に同様の範囲をコの字状に巡る小規模な溝も確認されているが,内部の居館とされる建物は不明である。牟呂城に隣接した地区では,城に伴う16世紀~18世紀の廃棄土壙(どこう)・溝なども発見されている。
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