はちまんしゃ(あかもん)

 (赤門)八幡社の創建は天智天皇10(671)年と伝えられる。吉田(豊橋)城築城後は城内若宮八幡といわれた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,飽海(あくみ)村「八幡宮,社人久太夫,社領三石目」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「城内吉田若宮八幡,黒印三石,神主磯部伝左衛門・河野長兵衛」とある。

 明治18(1885)年,陸軍用地(歩兵第18聯隊練兵場)となったため,城内秋葉社が東八町(豊橋市八町通四丁目)へ遷座し,八幡社は中八町(豊橋市八町通三丁目)へ遷座したが,明治43(1910)年八幡社と秋葉社が合祀された(社殿は秋葉社)。秋葉社は正徳元(1711)年下総古河に造営されたもので,松平信祝(のぶとき)移封に際してこの地に移されたものである。神社の入り口に赤塗りの六足門があったので,俗に赤門といわれていたが,昭和20(1945)年6月の空襲によって焼失し,翌21(46)年豊橋市中八町の安久美神戸(あくみかんべ)神明社に合祀された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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