ぜんぷくじ
竜香山全福寺(曹洞宗)は,もと六連(むつれ)(田原市)長仙寺末の真言寺院で,北方200mあまりの山麓にあったが,岡崎竜海院の開山模外惟俊和尚(?~1541)が,曹洞宗に改宗再興して末寺とした。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「竜香山全福寺,西三川岡崎竜海院末寺,平僧,客殿七間・四間半,境内八十六間・八十九間,寺領三石目,伊奈備前守様御証文有之,薬師堂三間・弐間,右善福寺支配,無堂守」とある。
「三河国二葉松」(元文5年)に,「杉山村,黒印三石,禅宗曹洞派,開山模外惟俊和尚,本寺岡崎竜海院,竜香山全福寺」とある。徳川家康を助けたため,寺領三石を受けたと伝えられている。明治28(1895)年法地に転格し,宝林寺13世(岡崎竜海院28世)泰運仙国和尚を法地開山に請した。享保年間(1716~36)に建てられた本堂は昭和57(1982)年に再建された。本尊は観音菩薩坐像である。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
竜香山全福寺(曹洞宗)は,もと六連(むつれ)(田原市)長仙寺末の真言寺院で,北方200mあまりの山麓にあったが,岡崎竜海院の開山模外惟俊和尚(?~1541)が,曹洞宗に改宗再興して末寺とした。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「竜香山全福寺,西三川岡崎竜海院末寺,平僧,客殿七間・四間半,境内八十六間・八十九間,寺領三石目,伊奈備前守様御証文有之,薬師堂三間・弐間,右善福寺支配,無堂守」とある。
「三河国二葉松」(元文5年)に,「杉山村,黒印三石,禅宗曹洞派,開山模外惟俊和尚,本寺岡崎竜海院,竜香山全福寺」とある。徳川家康を助けたため,寺領三石を受けたと伝えられている。明治28(1895)年法地に転格し,宝林寺13世(岡崎竜海院28世)泰運仙国和尚を法地開山に請した。享保年間(1716~36)に建てられた本堂は昭和57(1982)年に再建された。本尊は観音菩薩坐像である。
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