ぜんきゅういん
仙寿山全久院(曹洞宗)の創立は,永正11(1514)年と伝えられ,開基は仁連木(にれんぎ)城主戸田憲光で,亡父戸田宗光(法名全久)の追善のため仁連木城の西方に一禅院を建てたのが始まりである。開山は大洞山泉竜院(新城市)第4世克補契嶷和尚である。しかし,戸田憲光の孫康光は牛久保(豊川市)の地に移り,天文15(1546)年,光国舜玉和尚を開山として全久院を創して戸田家の祠堂所とし,墳墓所在の地とした。戸田家は,天正18(1590)年関東移封に際して,荒廃していた牛久保の全久院を仁連木の現在地(豊橋市東郷町)に移転した。その後,戸田家は,元和3(1617)年戸田直重の代に信州松本に転封となり,全久院は松本に移された。明治4(1871)年城主戸田光則が神道に改宗して松本全久院を廃却したため,什宝(じゅうほう),古文書などは仁連木全久院に引き継がれた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連木村「仙寿山全久院,大洞泉竜院末寺,東堂,客殿七間半・六間半,境内七十六間・百間,御朱印寺領三拾六石余,鎮守四尺・弐尺」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に「二連木村,寺領三十六石七斗七升,禅宗曹洞派,開山克甫和尚,開基光国和尚,本寺信州松本全久院,松平丹波守廟,仙寿山全久院」とある。
明治7(1874)年官重義堅和尚が入山して,国に返上した旧寺領の払下げを受けた。宗風を世に広めることを計り寺門を開放して寺の基礎を固めた。第2次世界大戦の戦災により山門,納屋を焼失したが,他の伽藍(がらん)は難を免れた。現在の本堂は,大正2(1913)年の再建,鐘楼(しょうろう)は明治15(1882)年の再建であるが,梵鐘(ぼんしょう)は第2次世界大戦中供出し,戦後新鋳された。
平成元(1989)年本堂の改修にあわせて開山堂,位牌(いはい)堂が再建され,壇信徒会館が新築され,本尊の釈迦牟尼仏坐像が,新たに造立された。境内に昭和11(1936)年幼稚園を開設した。昭和23(1948)年双葉保育園と改称し経営を続けていたが,昭和59(1984)年3月31日廃止した。
昭和24(1949)年,道元,懐奘筆「正法眼蔵」,道元筆「羅漢供養式稿本残巻」,懐奘筆「宝慶記」が国の重要文化財に指定された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
仙寿山全久院(曹洞宗)の創立は,永正11(1514)年と伝えられ,開基は仁連木(にれんぎ)城主戸田憲光で,亡父戸田宗光(法名全久)の追善のため仁連木城の西方に一禅院を建てたのが始まりである。開山は大洞山泉竜院(新城市)第4世克補契嶷和尚である。しかし,戸田憲光の孫康光は牛久保(豊川市)の地に移り,天文15(1546)年,光国舜玉和尚を開山として全久院を創して戸田家の祠堂所とし,墳墓所在の地とした。戸田家は,天正18(1590)年関東移封に際して,荒廃していた牛久保の全久院を仁連木の現在地(豊橋市東郷町)に移転した。その後,戸田家は,元和3(1617)年戸田直重の代に信州松本に転封となり,全久院は松本に移された。明治4(1871)年城主戸田光則が神道に改宗して松本全久院を廃却したため,什宝(じゅうほう),古文書などは仁連木全久院に引き継がれた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連木村「仙寿山全久院,大洞泉竜院末寺,東堂,客殿七間半・六間半,境内七十六間・百間,御朱印寺領三拾六石余,鎮守四尺・弐尺」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に「二連木村,寺領三十六石七斗七升,禅宗曹洞派,開山克甫和尚,開基光国和尚,本寺信州松本全久院,松平丹波守廟,仙寿山全久院」とある。
明治7(1874)年官重義堅和尚が入山して,国に返上した旧寺領の払下げを受けた。宗風を世に広めることを計り寺門を開放して寺の基礎を固めた。第2次世界大戦の戦災により山門,納屋を焼失したが,他の伽藍(がらん)は難を免れた。現在の本堂は,大正2(1913)年の再建,鐘楼(しょうろう)は明治15(1882)年の再建であるが,梵鐘(ぼんしょう)は第2次世界大戦中供出し,戦後新鋳された。
平成元(1989)年本堂の改修にあわせて開山堂,位牌(いはい)堂が再建され,壇信徒会館が新築され,本尊の釈迦牟尼仏坐像が,新たに造立された。境内に昭和11(1936)年幼稚園を開設した。昭和23(1948)年双葉保育園と改称し経営を続けていたが,昭和59(1984)年3月31日廃止した。
昭和24(1949)年,道元,懐奘筆「正法眼蔵」,道元筆「羅漢供養式稿本残巻」,懐奘筆「宝慶記」が国の重要文化財に指定された。
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