いりあいそうろん

 一定地域の住民が,特定区域の山林原野において規約に従って各自の生活に必要な薪(たきぎ)や秣(まぐさ)・刈敷(かりしき)などを採取する慣行を入会という。近世には,漁業や藻草などの採取を目的とする海面入会もある。豊橋市内で,村境・秣場(まぐさば)・下草をめぐり,百姓相互間や村と村との間でしばしば入会をめぐる紛争が発生した。

 文政12(1829)年神郷村(豊橋市石巻町),金田村(豊橋市石巻町),長彦村(豊橋市嵩山(すせ)町)と嵩山村(豊橋市嵩山町)の間で入会争論が起きた。この地区にあった飯盛山の秣場をめぐり,神郷村,金田村,長彦村は,嵩山村に対して提訴した。これに対して,嵩山村は庄屋・組頭など連名で吉田(豊橋)藩の地方役所に訴えた。主な内容は「嵩山村の者が境界を越えて勝手に秣を刈り取っている。3か村の秣がなくなって困っているので何とかして欲しい」である。

 これに対して嵩山村は「これらは偽りであり,この秣場を止められては村方の御用馬飼料がなくなってしまう。3か村を糾明の上,理解して欲しい」というものであった。このような事態は,藩役人を相当悩ませたようである。当時の入会争論の裁判の常識は,旧来の慣習を尊重して双方の申し立てを丸く納め,和解に持ち込むものであった。天保4(1833)年に,4か村共有の秣場という藩の裁定で決着したが,天保11(1840)年に再燃した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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