さの・ほうう(1809~95)
佐野蓬宇は,文化6(1809)年10月14日,吉田本町(豊橋市新本町)の万屋という饅頭(まんじゅう)屋の子に生まれた。幼名を英之助,のち深寧(ふかやす),通称権右衛門,号を呉井園蓬宇といった。俳諧を岡崎の鶴田卓池,国書を羽田野敬雄と中山美石(うまし),漢籍を小野湖山に学んだ。嘉永元(1848)年羽田八幡宮文庫設立にあたっては,福谷世黄(よつぎ)(水竹)らと発起人になり,羽田八幡宮文庫の幹事として長くその運営に尽力した。著書に「蓬宇連句帳」「此夕集(このゆうべしゅう)」をはじめ「うしくほ集」「ななころび」「俳諧金色集」などがある。明治28(1895)年1月13日,没した。墓碑(悟真寺)に「梅にのこり 柳に減りし 寒さかな」の句がある。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
佐野蓬宇は,文化6(1809)年10月14日,吉田本町(豊橋市新本町)の万屋という饅頭(まんじゅう)屋の子に生まれた。幼名を英之助,のち深寧(ふかやす),通称権右衛門,号を呉井園蓬宇といった。俳諧を岡崎の鶴田卓池,国書を羽田野敬雄と中山美石(うまし),漢籍を小野湖山に学んだ。嘉永元(1848)年羽田八幡宮文庫設立にあたっては,福谷世黄(よつぎ)(水竹)らと発起人になり,羽田八幡宮文庫の幹事として長くその運営に尽力した。著書に「蓬宇連句帳」「此夕集(このゆうべしゅう)」をはじめ「うしくほ集」「ななころび」「俳諧金色集」などがある。明治28(1895)年1月13日,没した。墓碑(悟真寺)に「梅にのこり 柳に減りし 寒さかな」の句がある。
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