ふたがわこようしぐん

 二川古窯址群は,松明峠(たいまつとうげ)南西麓を中心に分布する9~11世紀ごろの灰釉(かいゆう)陶器と緑釉(りょくゆう)陶器を生産した古窯址群である。尾張の猿投窯(さなげよう)からの技術導入によって,生産がはじめられたものであり,北は豊橋市多米(ため)町の福田(ぶくでん)古窯,南は豊橋市大岩町の前荒田古窯,東は豊橋市大岩町の東郷内古窯,西は豊橋市西高師町の小谷古窯までの東西6㎞,南北約7㎞の範囲で,赤石山脈の西側斜面と梅田川沿いの河岸段丘上を中心に三角形状に分布している。総数は90基以上と推定されている。

 窯が構築された地形は,山の斜面と河岸段丘斜面を中心としており,特に山の斜面は標高80mほどの中腹より高い位置にあるものも見られる。分布は3か所の集中する地区がある。「葦毛(いもう)湿原」の東から北側の山の斜面に分布する米山支群,豊橋市飯村(いむれ)町の高山支群,豊橋市大岩町の苗畑支群(なえはたしぐん)である。これらのうち,苗畑支群では,豊橋総合動植物公園建設に先立ち発掘調査が行われており,二川窯の中では高級食器である緑釉陶器や瓦が生産されていた特別な地点である。

 出土遺物は,緑釉陶器の碗・稜碗・段皿・稜皿などの碗皿類,灰釉陶器の碗皿類,長頸壺・短頸壺・平瓶などの壺類,須恵器の広口壺などの壺類,甕類,瓦などの豊富な種類が出土している。

 二川古窯址群の陶器生産は,10世紀ごろに最盛期を迎えたようで,平安時代の増基法師の紀行文である「いほぬし」の記述とも一致する。二川古窯址群で生産された陶器は近在の地域だけでなく,静岡県や神奈川県などの東海地方や関東地方までも運ばれたようであり,近年の発掘調査でその様相が明らかになってきている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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